野宿女性のその後

★野宿女性のその後6jan2014

 年始の3日、野宿女性が時折佇んでいた集合住宅の近くを自転車で通りがかった時だった・・・見覚えのある品のある歩き姿で前方から野宿女性が私の視界を通り過ぎた。以前は着用していなかったニットのワッチ帽を被り、顔は少し黒焼けしていたのが少し明るい健康的な色に、そしてリュックを背負い、段ボールの敷物を片手にして歩いていた。その当人が、夕方にとある商店街のアーケード内の路傍に段ボールを敷き、膝掛け毛布を膝に掛けて正座していた。何か思い悩んだように路傍の一点を見つめているものの、猫背ではなく背筋も伸びているのがアンバランスではあるが、目をひいてしまうのだった。戻って声をかけようとした時には既に毎度の如く何処かへ立ち去っていた。
 集合住宅で通報などに遭い、居たたまれずさまよっているのが今なのか、一時保護された後、何処に預けられるともなく解放されたのが今なのか・・・はたまた病院などに行ったものの、逃げ出したのが今なのかは、何も聞けず分からない。ただ、分かっているのは、当人が野宿をしたりしながらさまよっているという事実だ。そして集合住宅から排除されて以来、誰に声をかけられても一切コミュニケーションを絶ってしまったということだ。排除した側は、”問題が解決した”と考えているのだろうが、当人の精神世界に残っている場であるそこの周辺に拘って未だにさまよって野宿をする内にこの厳冬の周辺地域路傍で凍死する恐れすらあるのだ。一体、その時、排除した側は何と思うのだろうか。大方は加害の意識もなく”我々には非はない”と言うことだろう。それどころか、また”我々こそ被害者だ”とのご高説を霊前にすら浴びせることだろう。一体、その昔、この列島にあったコミュニティの美風ともいえる村八分が残した”最低ラインである二分の助け合い”は何処に失われてしまったのだろうか。(今となっては、村八分すら美しく見えてしまうほどだから、こう言いたくもなる)制裁排除の論理の中にも残された最低ラインの助け合いすら無い今は、それ以下の最悪の社会であると私には見える。
 微力ではあるが、今後も見かけたときにはアプローチ努力を行い、少々の信頼関係をつくった上で何らかの助力が可能であれば出来る範囲で出来る限りのことはしたいと思う。言うまでもなく時間がかかるだろうが、時間の許す範囲で。(★)

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