*night patrol 31 dec 2014-1 jan 2015

★天王寺・布施夜回り31dec2014-1jan2015

”カウントダウン”イベントなるものや”初詣”とやらに浮かれた個々人の群が商業主義の演出する虚飾の街角で大手を振り、”植民宗主国”の”罪もない”らしい他者の不幸にあぐらをかく幸福を日々噛みしめる”植民宗主国市民”どもが如何に恥知らずであるかの競演を繰り広げる頃、内国植民地である相対的貧困層以下の個々人は何とか一年を過ごせたという安堵もなく、この厳寒と否応無く向き合い闘うしかない今の連続を生きている。厳冬の路傍でささやかな休息をとるしかない野宿者は言うまでもなく死とも背合わせの闘いの中にいる。各国家群の利益やI$I$などとの四面楚歌の闘いを強いられているロヤヴァのクルドの民や、その他我利我利亡者共の資源収奪に泣かされ生存権を脅かされているカレンの民の闘いなどとは植民宗主国におけるそれは切実さが違うだろうが、誰にも頼れぬ状況は負けず劣らず変わらない。いうまでもなく、統治機構や醸成された”多数派市民社会”とも対峙するしか生きられないそういった総ての四面楚歌の闘いにささやかながらも心から連帯を表明する。  ともかく、年末から年始に変わる昨夜もささやかながらJR天王寺駅周辺部と近鉄布施駅前で夜回りを行った。
JR天王寺駅前では、さまよう野宿者を除き10名くらいが、ささやかな休息の場を得ていた。赤い”反失連”の”釜ヶ崎越冬闘争”の最中であるので、そちらに世話になっている個々人も多いかもしれないが、”闇福祉(=poverty pimps)”などの無い者を利用して儲ける連中が毎年のように親切顔をして野宿者を連れて行くので、そちらに引っかかってしまった個々人もあると思われる。南港臨時宿泊所閉鎖にも特段の異議を唱えることが無かったと思われる、釜ヶ崎に支援を集中し”厳しい状況は釜ヶ崎に集中している”とする”反失連”などの支援組織は大阪市・警察などの”浄化”策動にも”自治”とした”自浄作用”を自ら醸成してこの10年来、事実上の沈黙を自らのものとして地区内のテント小屋・廃車に住まう個々人を当人の意志の如何にかかわらず”屋根”は最低条件として居宅保護させていった。その中でも釜ヶ崎という場の中でやっと支えられてやれていた個々人が、”屋根”を獲得したところでやっていけるとは限らず、より厳しい状況の周辺部で”屋根”を断念させられるか自ら断念して再野宿するということにすらなっている状態に何度出くわしたことか・・・ 釜ヶ崎反失連もかかわるNPO釜ヶ崎支配機構が長居公園野宿者反排除反撤去闘争時に”野宿状況解消”を唱えて野宿者とそのテント村群に対する排除にものを言わず、反排除闘争やそれにかかわる個々人への圧力をかけ、そればかりか釜ヶ崎の殆どの活動家を抱きこんでその仕事先ともなった2000年末に開設された長居公園シェルター(行政名=長居公園仮設一時避難所。)運営側になり、野宿者に屋根を提供する方向で排除にこだわらない野宿者支援法の立法にさえ動いた事で何が起こったかを知る者としてはその事を黙っていられない。

いわば、その延長線上に、バックパッカーの租界・福祉の街策動と連動した寄せ場解体の街づくり推進、長らく警察が知って知らぬ振りをしていた薬の売人狩りや煌々と昼のように必要以上に明るくされた街路への監視カメラ群設置強化、作業着の西成署警官=人狼や行政委託警備会社による巡回、センター解消策動と”特別就労”枠や南港臨泊(南港臨時宿泊所)縮小無化策動…などの釜ヶ崎の”あいりん対策=治安対策・スラムクリアランス”推進の今がある。

2000年当時、”NPO釜ヶ崎支配機構は大阪市などから十手を持たされた岡っ引き”などと言おうものなら赤い連中=反失連関係者から敵意をもってトンデモナイ奴だと非難されさえしたが、今も彼らが携わったものの結果を見て”オマエ、始末されるで”とあの時のような勢いで食ってかかったり”身辺用心しぃや”と警告する反失連の息のかかった個々人が居るから嘆かわしい。2002年3月発足の”失業と野宿を考える実行委員会(失野実)”結成に中心的役割を持った、その当時の再建された長居公園仲間の会や元長居公園現場闘争団生き残りメンバーおよび釜ヶ崎医療連、釜ヶ崎パトロールの会メンバー有志などが警鐘を鳴らし反対した”予測可能な未来”が、やはりそこに現実になっているのだから。現在の失野実がどういう見解を持っているかは別として、当時の初期失野実に集った個々人は、そういう危機感をもって野宿者排除に文字通り対峙していった。そして2006年1月の靭公園テント村叛撤去闘争後の弾圧群を経て力を殺がれて行った。今もって当時の失野実の見解が間違っていたとは思えないような当方は当然ながら敵として対峙してきた大阪市などの統治機構や赤い反失連およびNPO釜ヶ崎支配機構がやむにやむなくやったことだったなどという甘っちょろい見方には一片たりとも賛同などしない。ともかく…
天王寺公園では15名くらい(敢えて実数をぼかしている)が吹きっさらしの園内の何とか風を防げる場で休息をとっていた。風で段ボール囲いが壊れたまま眠ってしまっている方もあったため、簡易カイロを配布した上で直して行くことも多かった。
新世界では、10名程度が浮かれた酔っぱらい共と向き合わせられつつも、ささやかな休息を得ていた。その後、移動中の生野区内で寝袋も羽織る毛布もないというさまよう野宿者に本人が望んだので持ち寄られた携行可能な毛布と簡易カイロをセットで手渡すことになったが、”これで良い年を迎えられます”と軍隊式の最敬礼をされたのにはまいった。聞けば、退役自衛官とのことだった。  近鉄布施駅前ではよく見知った野宿者と再会し、その後の話をすることになったほか、何人かの初顔の個々人もいた。(敢えて居場所は特定しない)  年始も天王寺布施夜回りの会では、可能な限り夜回りを行う予定。参加の意志がある方は、以下のアドレスに連絡の上で簡易カイロなどの持ち寄りの一品を持参して参加を。 kitakawachi_nojuku(aT)yahoo(dOt)ca
(★) 2-a de januaro 2015

広告

現在コメントは受け付けていません。